脳梗塞で倒れ「意識の回復は見込めない」と医師から言われた45才の妻が家に戻るまでの闘病記【1】

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まるすけ(@marusukepapa)です。

2025年2月18日(火)の夜、一緒にテレビを観ていた妻が突然目の前で意識を失いました。

すぐに救急車で搬送され緊急手術。

術後、医師から告げられた病名は
『脳梗塞』
でした。

「45才の若さで…?」
「ウソだろ…?」

『脳底動脈先端閉塞症(のうていどうみゃくせんたんへいそくしょう)』
という脳梗塞全体の中でも1%という稀な場所での発症との事。
ネットの情報も極端に少なく、内容も悲観的なものばかり…。
頭がおかしくなりそうな日々でした。

医師からは
「意識の回復は見込めないでしょう」
とまで言われましたが、奇跡的に今は後遺症を残しながらも在宅復帰して生活しています。

そんな、情報の少ない脳底動脈先端閉塞症。

「今後もし同じような状況になった方が、少しでも参考にしてくれたら…」

そんな想いから、今回から数回にわたり私が書き留めておいた記録を元に妻の闘病記を公開していきたいと思います。

※文章は記録の文体のまま記していきます。

2月18日(火)

21:00
テレビ神奈川で「水曜どうでしょう」の再放送を一緒に見始める。
「この話は前にも観た事あるよね」など、普通に会話できていた。

21:05
頭痛を訴え、突然「救急車呼ぶ」と言い、自ら119に電話。
普段から頭痛持ちだったため「えっ!?そんなに(ひどい状態)!?」と驚いたが、そこまで言うのは相当なのだと思い妻の横に寄り添う。

21:08
119番の電話で「頭が痛くて…」と慌てた口調で説明をしていたが、次第に「腕が痺れてきた!視界が回る」と呂律が回らなくなりソファー横で倒れる。
床に放り出されたスマホを手に取り状況を説明。救急車到着まで10分かかると言われる。

21:10
全身痙攣を起こす。
「落ち着け!落ち着け!」と自分に言い聞かし、妻にも声をかけ続けながら脈拍を計測。脈拍116。チアノーゼなし。
2階の自室にいた息子が異変に気付き「どうしたの!?」と降りて来る。状況を説明。

21:20
足の痙攣がひどくなる。脈拍93。チアノーゼなし。
救急隊到着。大きな声で妻に反応があるか確認をしていたが返事なし。
倒れてからの状況報告をし救急車へ同乗。

21:30
横須賀共済病院へ緊急搬送開始。救急車からずっと呼びかけには応じず。
車内で心電図検査などをしながら緊急走行。
息子に「共済病院へ向かう」とLINEを送る。

21:50
横須賀共済病院到着。
妻はそのまま緊急処置室へ搬送される。
救急隊員に言われるがまま受付へ。
こちらの緊迫感など全く関係ない淡々とした片手間な事務の受付対応に「こういうものなのか」と感じた。

「お名前言えますかー!?」と、妻の名前の確認をしている大きな声が何度か聞こえる。

しばらくすると、緊急処置室内で嘔吐したとの事でスタッフから嘔吐物のついた衣類一式を渡される。

受付付近の椅子に座りながら、妻がいるであろう処置室の入口を見つめる事しかできない。
ポケットに手を入れたまま処置室から半笑いで出てくるスタッフに苛立ちを感じる。
妻のそばにいられない事に歯がゆさを覚える。

23:06
これから集中治療室で検査手術と説明を受ける。
状況が理解できないままに大量の書類にサインをしながら入院の手続き。
集中治療室前のベンチにて待つよう言われ、そこへ向かう移動中、看護師より「名前の確認にわずかながら反応を示していた」と報告あり。
明かりの消えた、暗い廊下に置いてあるベンチでひたすら待つ。
現状について、息子に電話で伝える。

2月19日(水)

00:50
脳梗塞と診断を受ける。

以下、医師から伝えられた内容を記載。
「脳底動脈先端閉塞症」という、脳梗塞の中でも1%程度の稀な部位での発症。
24:00に手術が終了し、血管の詰まりを取る処置で血流は戻った。
3時間血流が止まっていたため、その先の細い血管まで血流を送れるよう血液をサラサラにする薬剤を投与。
細い血管が破れている可能性があり予断の許さない状態のため、このあと症状が急変し突然の心肺停止後遺症で寝たきりも考えられる。
そのため、深夜ではあるが、このあと会わせたい方に会わせておくように。

目の前で起きている状況に頭が追い付かないまま
「…じゃあ息子を(連れてきます)…」
と言うのが精いっぱいだった。

01:45
汚れた衣類や各種書類を手に屋外へ。
部屋着で出てきてしまったため、風も強く凍える寒さだった。
運よくタクシーを拾い「一旦戻る」と息子に連絡。

02:15
帰宅。
息子と2人で車に乗り共済病院へ再度出発。
「この子の前ではしっかりしていないと」と言い聞かせ、必死に自分を落ち着かせる。

03:00
息子と一緒に面会。
体じゅうに色々な管をつけられて酸素マスクをして目を閉じている妻を目の前に、息子と共に言葉を失う。
ふだんの時と同じ妻の呼び方で「みい、頑張れ!」と声をかける。

集中治療室にて注意深く経過を見て対応するとの事で一時帰宅。

翌朝には両家両親にも報告しないと、と重い気分のままスマホを握りながら就寝。
が、寝られない。
「生きててくれ…!」と願い続ける。
浅眠を繰り返して2時間程度眠った気がする。

05:30
汚れた衣類についた嘔吐物を風呂場で洗い流し、洗濯。

06:30
自分の両親へ報告。
この後、妻の両親へ報告するのが辛いと伝える。
「どう伝えたらいいんだ」と頭の中で繰り返す。

家の中には「今度一緒に食べようね」と買ったお菓子や妻の私物が至る所にあり、それらがまるで妻の抜け殻のように感じてしまい目に入るのが辛かった。

自分の職場へ状況の説明としばらく休む旨をメールで伝える。

07:15
義父へ電話。
涙を堪えて事情を伝え、このあと一緒に面会を依頼。

09:20
妻の勤務先に事情説明の電話を入れ、しばらく休む旨を伝える。

10:00
妻のご両親をお迎えに行き一緒に面会。
改めて手術を担当した医師から病状説明を受ける。
義母が嗚咽し泣き崩れるのを見て「自分だけはしっかりしていないと!」と必死にこらえる。
反応ない妻へ「みい、大丈夫だよ。焦らず帰っておいでね」と声をかけて帰る。

ご両親を送っていく車内で
「このままではお義父さんもお義母さんも倒れてしまう。何とか少しでも安心させて元気づけなくては」と思うが、考えれば考えるほど言葉が出てこない。

結局、ご両親が車から降りた時に
「私は介護福祉士です。だからみいが帰ってきたら全部見ます。大丈夫、心配いりません。プロですから」と言うのが精いっぱいだった。

一人になった帰り道の車内で
「何言ってんだ、全然大丈夫じゃないよ」
と思ったのをよく覚えている。

13:30
高校時代からの私と妻の親友である看護師の友人Tに、その週末に予定していた飲み会キャンセル依頼も含め状況を報告。

(近日公開予定)脳梗塞で倒れ「意識の回復は見込めない」と医師から言われた45才の妻が家に戻るまでの闘病記【2】へ続く

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