脳梗塞で倒れ「意識の回復は見込めない」と医師から言われた45才の妻が家に戻るまでの闘病記【2】

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まるすけ(@marusukepapa)です。

2025年2月18日(火)の夜、一緒にテレビを観ていた妻が突然目の前で意識を失いました。

すぐに救急車で搬送され緊急手術。

術後、医師から告げられた病名は
『脳梗塞』
でした。

「45才の若さで…?」
「ウソだろ…?」

『脳底動脈先端閉塞症(のうていどうみゃくせんたんへいそくしょう)』
という脳梗塞全体の中でも1%という稀な場所での発症との事。
ネットの情報も極端に少なく、内容も悲観的なものばかり…。
頭がおかしくなりそうな日々でした。

医師からは
「意識の回復は見込めないでしょう」
とまで言われましたが、奇跡的に今は後遺症を残しながらも在宅復帰して生活しています。

そんな、情報の少ない脳底動脈先端閉塞症。

「今後もし同じような状況になった方が、少しでも参考にしてくれたら…」

そんな想いから、今回から数回にわたり私が書き留めておいた記録を元に妻の闘病記を公開していきたいと思います。

※文章は記録の文体のまま記していきます。

脳梗塞で倒れ「意識の回復は見込めない」と医師から言われた45才の妻が家に戻るまでの闘病記【1】はこちら

●2/20(木)

これから毎日、1日も欠かさず面会に行く事を心に決めた。

目の前から突然妻がいなくなり、
「ちょっと前まで普通に話をしていたのに、なんでみいが…」
「食生活にも気をつけて、真面目に毎日頑張ってたじゃないか」
「なんでウチがこんな思いをしなくちゃならないんだ」
と行き場のない怒りを感じていた。

この日、初めて母を連れて面会に行く。

病院へ向かう途中、信号待ちの時にふと車の外に目を向けると、
昼間からお酒の缶を持ってフラフラと歩いている年配の男性を見かける。
「なんでコイツなんかが笑って生きてて…。もっとちゃんと生きろよ…!」
と、自分勝手とは分かりつつも苛立ちを覚える。

集中治療室は面会人数が制限されており、登録した6名のみが面会可能との事。
自分と息子、自分の両親、妻の両親の6名で申請。

妻のご両親と病院で顔を合わせる。
母が、憔悴した義母の背中をさすりながら
「大丈夫。大丈夫よ、お母さん」と励ますように声をかけているのを見て目頭が熱くなる。

妻の体の状態を確認。
相変わらず目を閉じたまま体じゅうにたくさんの管をつけて眠っていた。

いつもと変わらないように話す事を意識して
「みいー、パパ来たよ。みいが起きるの待ってるからね」
と声をかける。
上下肢とも触った感じの表面温度に違いはなかったので、麻痺が出ない事を祈る。

●2/21(金)

母と義母によると、自分の声かけにだけピクッと動くなどの反応があるとの事。
自分では分からないが、もしそうだとしたら嬉しい。

本当にそういった反応があるのであれば、回復への希望も持てる。

眠っている妻に、普段と変わらないようなテンションで声をかける。
「今日は窓の外の光が分かるかな?」
などの言葉をかける。
が、やはり反応はなくただ眠っていた。
「今日はいい天気だよ。また来るからね」
と伝えて退室した。

帰り道の車内、母と義母の言葉を思い出し、
声かけに反応があるかもしれない…。そんな事でも、人はとてつもない幸せを感じられるんだ…!」
と思った。

妻とは日ごろから
「この当たり前に思える生活は当たり前じゃないから毎日感謝しないとね」
と言い合ってきた。

ちゃんと分かっていた事なのに、改めて今までの毎日がどんなに幸せな事だったのかを痛感した。

妻がいる生活に戻りたい。
その想いは日に日に強くなっていった。

●2/22(土)

8:40
家にいる時に担当医から電話があり以下の事を伝えられる。

・覚醒を司る「視床」が両方ダメージを受けているため、意識の回復は見込めない 
・診断名は手術日に伝えた「脳底動脈先端閉塞症」
コミュニケーションとれるまでの回復は厳しい
・今の昏睡状態が永続的に続く
・脳幹にはダメージがないため自発呼吸は可能
・様子を見つつ、転院は間違いないので今後はソーシャルワーカーと相談して進める

将来への希望を持ち始めていただけに、電話中にも声が出なくなりそうになるほど、どん底まで突き落とされた。

「もう会話できないのか?」
「あの声が聞けないのか?」

電話後、その場で泣き崩れた。

絶望だった。

この事をまた妻のご両親に伝えなければいけないのか…と憂鬱になった。

でも絶対に諦めたくなかった。
「医師の見立てなんて覆してやる」って本気で思った。

その後、息子と「自分たちが出来る事をしっかりやっていこう」と話す。

10:00
義父に電話し、このあと訪問させてほしいと伝える。

10:30
妻の実家へ到着。
医師からの説明をメモを見ながら伝える。
義母はもちろん、義父まで涙を流し、さすがにこらえきれなくなる。
どんな表情でどう説明したら良いか「しっかりしないと」と思う反面、淡々と話して冷たい印象になってしまわないか、など、主観と客観が入り混じって感情のコントロールが難しかった。

午後、面会に行く。

妻と2人きり。
何とか普通に接しようとしたが、もう抑えられず…。
カーテンで仕切られたベッドの横で1人で泣き続けた。

(近日公開予定)脳梗塞で倒れ「意識の回復は見込めない」と医師から言われた45才の妻が家に戻るまでの闘病記【3】へ続く

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