まるすけ(@marusukepapa)です。
2025年2月18日(火)の夜、一緒にテレビを観ていた妻が突然目の前で意識を失いました。
すぐに救急車で搬送され緊急手術。
術後、医師から告げられた病名は
『脳梗塞』
でした。
「45才の若さで…?」
「ウソだろ…?」
『脳底動脈先端閉塞症(のうていどうみゃくせんたんへいそくしょう)』
という脳梗塞全体の中でも1%という稀な場所での発症との事。
ネットの情報も極端に少なく、内容も悲観的なものばかり…。
頭がおかしくなりそうな日々でした。
医師からは
「意識の回復は見込めないでしょう」
とまで言われましたが、奇跡的に今は後遺症を残しながらも在宅復帰して生活しています。
そんな、情報の少ない脳底動脈先端閉塞症。
「今後もし同じような状況になった方が、少しでも参考にしてくれたら…」
そんな想いから、数回にわたり私が書き留めておいた記録を元に妻の闘病記を公開していきたいと思います。
※文章は記録の文体のまま記していきます。
脳梗塞で倒れ「意識の回復は見込めない」と医師から言われた45才の妻が家に戻るまでの闘病記【7】はこちら
3/28(金)
友人の看護師Tから、面会時にすごい変化があったと報告あり。
以下、Tの報告をまとめる。
目が半分ぐらい開いていて、面会に着くと
「お~!」
と声を発した。
続けて
「見えるー?」
との質問に
「見えるよー」
と返事をしたり、
「ちょっと私の方に寝返りしてー」
に、ほぼ自力で寝返りを打てていた。
ただ、少し休んだあとは辛そうな顔になって手足を激しく動かす。
その間も声をかけ続けたものの、どうやら聞こえない様子。
動きがおさまったあと
「どのくらいだった?」
と聞いてきたので
「さっきのは自分で動かしてたんじゃなくて、勝手に動いちゃうという事?」
と聞くと
「うん」
と答えていた。
あれは不随意運動なのかな、と。
自分の意に反して動いちゃって、それがしんどいんじゃないかと思う。
そのあとは目は開けないけど会話は良好で、笑ったりもしてた。
歩きたいとも言ってた。
だから反応の良し悪しはひょっとしたら時間帯なのかもしれない。
着実に、想像以上に回復してると思う。
今までで一番普通に近い形で会話が出来てた。
といった報告だった。
覚醒具合は時間帯によるものだ
という事が分かり、かなり安心した。
その日の夜、仕事後に面会した時はほとんどの時間を寝て過ごしていた。
でも、時間帯だと思えたから落ち着いて気持ちを保つ事ができた。
Tからの報告がなければ、またひどく落ち込んでいたと思う。
自分の時間を割いて、家族以上に頻繁に面会に行ってくれているTには感謝しかない。
こんなに想ってくれている親友がいて、自分たち夫婦はなんて運が良いんだろうと思った。
3/29(土)
転院日に使う着替え一式を持って、息子と一緒に面会。
「プァプァー(パパー)」
「〇〇チャン(息子の名前)」といった
言葉が聞かれ、状況を把握して言葉を出そうとしているのが分かった。
「あさって引っ越しだからあと2日の辛抱だよ」
と伝えると頷いて
「プァプァー」
と言う。
同日夜、Tが面会に行った時はぐっすりと寝ていたとの事。
3/30(日)
1人で面会に行き
「明日いよいよ引っ越しだよ」
「パパ知ってる病院だけど、とってもキレイな病院だよ」
「リハビリに特化した良い病院だよ」
と伝える。
その日の夜。
Tが夕方に面会に行った時に起きた出来事を伝えられる。
以下、LINE原文のまま記載する。
↓
「鼻の付近に、鼻水が固まっちゃったのかピカピカしちゃってたからさ。
手前の大きな鼻垢は取れたんだけど、よく見たら奥に『あれ?』ってのが見えて。
鼻垢にしてはちょっと硬いような…。
でも取れそうだったから、何とか取ったけど…。
ガーゼっぽいやつだった。
鼻血出た時に入れた?
取り忘れたやつじゃないだろうな…?
しばらく待って、鼻血が出てくることはなかったから、いつのガーゼか分かんないけど、
最近のではない気がする。
鼻血の止血のために入れてくれたのかもしんないけど、取り忘れないで欲しいね。
感染の元だよ、あんなん」
衝撃的な内容だった。
ずっと鼻の奥にガーゼが入りっぱなしだったという事?
じゃあ、ずっと苦しかったという事?
気づかなければそのまま放置で転院してた、という事?
さすがに怒りがこみ上げてきた。
が、明日で転院だと自分をなだめる。
共済病院のポスターやホームページには
『よかった、この病院で』
と大きな字で書かれているが、脳神経外科の病棟に関しては
とてもじゃないけどそんな事は感じられない日々だった。
ただし、緊急搬送された日に妻の手術を担当し、
その命を救ってくれた非常勤の医師には心から感謝している。
3/31(月)
8:30
共済病院到着。
退院の手続きを済ませ、久しぶりに私服姿になった妻を見る。
前日にあった、鼻のガーゼについては最後まで話に出る事はなかった。
9:00
ストレッチャーに乗せられ1階へ。
介護タクシーを待つ間
「病室以外の所に出るのは久しぶりでしょ」
と声をかけると小さく頷く。
半目を開けて周りを見ようとしているようだった。
介護タクシーに同乗し共済病院を出発。
2月18日に入院してからこの日まで41日間、1日も欠かさず面会に行く事ができて良かった。
高速道路を走行中も、半目を開けていた。
「みい、久しぶりの車だね」
「どう?(外の景色)見える?」
と聞くが反応なし。
10:00
横浜市金沢区にある、なみきリハビリテーション病院に到着。
介護タクシーから降りる直前、足を激しく痙攣させ険しい表情になる。
Tが言っていた不随意運動なのかと思い
「もう着いたよ。大丈夫、大丈夫だよ」
「受付に連絡してくるからちょっと待っててね」
「何が何だか分からないから怖いよね。でも大丈夫だよ」
と肩をさすりながら声をかけると、少し落ち着く。
ストレッチャーのまま3階へ。
こちらで声をかけるより前に
「〇〇さん、お待ちしておりました!」
と、スタッフステーションから笑顔で迎えられる。
「このまま奥様は色々と検査に入りますので、ご主人様はこちらへ」
妻と別れて個室へと促され、入院の説明を受けながら各種手続きを行う。
説明はとても丁寧で、しっかりと時間をかけてくれているのが好印象だった。
その後、検査を終えた医師から以下の話があった。
・今後覚醒時間は長くなっていくと思われる。
・入院期間は半年程度。
・現時点で笑ったり足を動かしたり言葉を発しているのは不随意運動ではなく
あくまで本人の意志で行っている。
・右手の動きが悪く麻痺が残っている可能性もあるが、全く動かない訳では
ないのでリハビリで改善を目指していく。
・嚥下(飲み込み)に関してはまだ不明。今後覚醒している時に言語聴覚士が診ていく。
じっくりと20分ぐらいかけて説明をしていただき、担当医から前向きな言葉を聞けると
こんなにも力強いものなんだと思った。
13:00
全ての手続きを終え職場へ。
なみきリハビリテーション病院の面会時間は14:30~17:30。
この日は年度末の最終日という事もあり、仕事量を考えると残念ながら午後の面会は不可。
「明日からは仕事を1時間だけ早退させてもらって、なるべく毎日面会に来よう」
そう思いながら病院を後にし、両親や義父に転院完了の報告をする。
翌日からは日を追うごとに少しずつ回復していく。
(近日公開予定)脳梗塞で倒れ「意識の回復は見込めない」と医師から言われた45才の妻が家に戻るまでの闘病記【9】へ続く



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