脳梗塞で倒れ「意識の回復は見込めない」と医師から言われた45才の妻が家に戻るまでの闘病記【3】

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まるすけ(@marusukepapa)です。

2025年2月18日(火)の夜、一緒にテレビを観ていた妻が突然目の前で意識を失いました。

すぐに救急車で搬送され緊急手術。

術後、医師から告げられた病名は
『脳梗塞』
でした。

「45才の若さで…?」
「ウソだろ…?」

『脳底動脈先端閉塞症(のうていどうみゃくせんたんへいそくしょう)』
という脳梗塞全体の中でも1%という稀な場所での発症との事。
ネットの情報も極端に少なく、内容も悲観的なものばかり…。
頭がおかしくなりそうな日々でした。

医師からは
「意識の回復は見込めないでしょう」
とまで言われましたが、奇跡的に今は後遺症を残しながらも在宅復帰して生活しています。

そんな、情報の少ない脳底動脈先端閉塞症。

「今後もし同じような状況になった方が、少しでも参考にしてくれたら…」

そんな想いから、数回にわたり私が書き留めておいた記録を元に妻の闘病記を公開していきたいと思います。

※文章は記録の文体のまま記していきます。

脳梗塞で倒れ「意識の回復は見込めない」と医師から言われた45才の妻が家に戻るまでの闘病記【2】はこちら

2/23(日)

妻の兄にも前日医師から言われた事をLINEで伝える。

「集中治療室、人数制限の関係で入れず申し訳ありません。
昨日担当医から電話で『意識の回復は見込めない』と言われました。
でも息はしています。だから絶対に諦めません。声をかけ続けます。
お義母さんのケアをとにかくよろしくお願いします。」
と送信。

間もなく、義兄から
「意識が回復すると信じています。
いつも家族を気遣ってくれてありがとう。」
と返信。
その言葉にまた目頭が熱くなる。

「今日も諦めずに声をかけ続ける」
と、改めて決意を固める。

面会に行くと事態は大きく変化する。

母や義母の言っていた通り、確かに自分の声に対して少しだけ反応が見られるようになった。

声かけにわずかながら首を動かして頷いたり、3回ほど「あー」「うー」と大きな声を出す。
目は閉じたままだが、上瞼が少し動いて目を開けようとしている仕草も見えた。

「みいの声だ…!」

妻の声が聴こえる事がこんなに嬉しいと思わなかった。

2/24(月)

今の状態と今後を考えると、妻の職場復帰は困難と判断。

勤め先であったドラッグストアに退職の意向を伝える。
手続きなどは今後行うとの事。

「まだまだ大変な状況だと思いますので、落ち着いてから、ゆっくりで大丈夫です。ご主人様もお身体ご自愛ください」
との言葉に、胸が熱くなった。

面会開始時間に合わせて面会に行く。

今日はこちらの声かけに反応なし。
大きく呼吸をしながらただ眠っていた。

「昨日あれだけの反応があったから諦めないぞ」
と、面会時間中ずっと話しかける。

「みい、明日もまた来るからね」
と伝え退室。

とはいえ、やはり反応がないと大きく落ち込む。

家の事も疎かにできないと、帰りに食材購入のためスーパーへ寄る。
店内では何度もため息が出てしまう。
家族連れや年配のご夫婦、元気に働いているレジのスタッフさんなど…目に入るすべてが羨ましく感じてしまう。

「なんでウチがこんな思いを…」
と頭の中で何度も繰り返す。

カートを押しながらフラフラとしてしまい、しっかり歩くのが困難と感じる。
休憩しながら買い物を続け、なんとか帰宅。

リビングに到着し、ソファーベッドに倒れこむ。

そのまま眠ってしまい、気が付くと夜だった。

息子が学校から帰って来る前にと、夕食作りをする。

帰宅した息子となるべく普段通りの夕食を済ませ、いつもより早く就寝した。

2/25(火)

10:00
共済病院ソーシャルワーカーと面談。転院先の病院候補を6箇所紹介される。
希望する病院を検討して返事すると伝える。

その際に、妻の様子について
・看護師が「グー、チョキ、パーしてみて」と伝えると、その形に動かそうとしている
という報告があった。

たったそれだけで、飛び跳ねるぐらい嬉しかった。

面談後は妻の実家に寄り、転院先についてパンフレットを持って相談。
同時にソーシャルワーカーから言われた事も伝え、喜び合った。

同じ横須賀市内にある総合病院か、それとも横浜市にあるリハビリテーションに特化した病院か…。

これは専門的な意見も欲しいと、共通の友人である看護師Tに意見を求める。

看護師Tの知人などからも情報を集めてもらった結果、
第一希望を面会時間の長い横須賀市内の衣笠病院。
第二希望を自分の職場が近い横浜なみきリハビリテーション病院。
でソーシャルワーカーに伝える事にした。

午後の面会時間開始まで家で過ごして面会。

相変わらず反応はないが、諦めずに声をかけ続ける。

自身の勤務先へ明日から復帰する事を伝える。

入院している共済病院は、幸いにも面会時間が夜の20:00までの病院だったため、これから毎日仕事帰りに面会する事にした。
母へ、これからは仕事帰りに面会に寄る意向を伝え、平日のみ息子の夜ご飯を依頼し、快諾される。

2/26(水)

職場復帰をする。

プロフィールにある通り、自分の仕事は知的障がいを持つ方の生活介護事業所の支援員。

利用者さんの前では笑顔で穏やかな雰囲気でいる事がとても大事になる仕事のため、今までのように笑わせたり笑ったりするのは…なかなかに辛いと感じた。
が、妻も頑張っているから自分も頑張ると言い聞かす。

休んでいる間、尽力してくれた他の職員には感謝しかない。

この日は面会時間の半分ぐらい声を出していた。
声かけにも小さく頷いたり、上体を少し起こそうとしたり目を開けようと半目になったり、左手を右肩付近まで動かしたりと活動的。

「お!いいねいいね!その感じだよ!一緒に頑張ろうね」
と声をかけて退室した。

脳梗塞で倒れ「意識の回復は見込めない」と医師から言われた45才の妻が家に戻るまでの闘病記【4】へ続く

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